干支シリーズ

Oriental Zodiac works

子・2008
子・2008

子という字は了(おわる)に一(はじまり)。ゆえに子は十二支の第一席に位置しているという。鼠算とも言われるように、鼠の繁殖力にあやかる気持ちがあったらしい。 ネズミの天敵は猫である。十二支選抜にあたり、猫はネズミのせいで出遅れたからだと昔話は伝えている。 写真の構図では、チーズを狙ったネズミを猫が狙っているという情景をシルエットまじりに表現。 撮影:京町家

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丑・2009
丑・2009

テーマは「牛頭天王」。インドの祇園精舎 の守護神で、牛頭人身の姿をしている。日本へ渡ってきてからはスサノオと習合し、疫 病の神などとして祀られる。畑の耕作、物資の輸送など、人の生活に最も助けとなる動物である。その分、死後の世界では牛頭鬼となって、人々を責め苛む側になる。撮影場所の富士山の爆発で出来た溶岩隧道は、まるで巨大な墓場のよう。天井の溶岩鍾乳石からは地下水が滴り、まさに地獄を彷彿とさせるそのなかに佇む牛頭天王の霊魂は、両の掌の中に凝縮する気に 、人間界の模様を見定めようとするがごとくである。。。。 撮影:富士山麓風穴

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寅・1998
寅・1998

虎が描かれている物には竹が背景になっている物が多い。2つとも風の象徴であるという。 ライオンの棲息しないアジア大陸において、虎こそは百獣の王であった。勇猛な姿は武家にも好まれ、雲を呼ぶ竜とともに屏風絵や襖絵などに多用された。 この干支シリーズでは獰猛な寅ではなく、竹林に佇む寅の精霊として表現している。干支シリーズ始まりの年。 撮影:京都府長岡京市

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卯・1999
卯・1999

「稲羽の白兎」は出雲神話の代表的なお話である。対岸の島に渡ろうとしたウサギが計略を用いてワニ(古代日本においてはフカの意)をだまし、おこったワニに毛をむしられて丸裸になって泣いていたところを、通りかかった大国主命に助けられるというものである。 単純に見えるこのお話の裏には、大和王朝と出雲王朝の確執、ウサギとワニに象徴される部族の抗争等、古代の謎にはまっていくのだが、平成の世では冬でもサーファーが練習に励む平和な海岸である。 時を超えて、対岸を見つめる白兎の霊。 撮影:鳥取県白兎海岸

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辰・2000
辰・2000

鯉が滝を昇ると竜になるという。「登龍門」である。韓国や日本の他地方では鮭であることもあるという。この撮影はその鯉の滝登りのイメージから行ったものであるが、背景が琵琶に似ていることから琵琶滝と名付けられた滝であることも、仏法の守護をする竜にふさわしいものであるとの意識の上である。 海千山千という言葉がある。抜け目のない老獪な人物を指す。海に住む蛇が千年修行を積んでミヅチ(ウロコ、四肢のある蛇、角なし)になり、ミズチが山でさらに千年修行を積むと竜になることが語源であるという。海、山でともに千年、あわせて二千年。奇しくも西暦二千年は辰年である。 そして2001年は再生のシンボルである巳年から始まる。 撮影:三重県名張市赤目四十八滝

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巳・2001
巳・2001

蛇は死と再生のシンボルである。脱皮を繰り返すその姿は人々に神秘の念さえ起こさせた。 神秘というと洞窟が浮かんだ。アマテラス神の登場する天の岩戸の物語がイメージと重なったのかもしれない。アマテラス神が隠ってしまった洞窟は全くの闇であった。  神社のしめ縄は睦み合う2匹の蛇の象徴である。古代、大和政権の中核をなすの大神神社に奉られるの大巳貴神(オオナムチノカミ)は蛇神であった。中国の神話の最初の皇帝である伏義とその妃である女禍は人面蛇身であり、この二人はイザナギ、イザナミのモデルになっているとも言われている。聖書の創世記のアダムとイブの話でイブを誘惑する蛇もしかり、洋の東西を問わず、蛇が人類と存在そのものを象徴する生き物として登場することは興味深い。 撮影:福井県越前海岸

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午・2002
午・2002

馬といえば思い出すのが小学校の国語の教科書にでてきた三好達治の「大阿蘇」という詩である。「雨がしょうしょうと降っている」と音楽のように繰り返されるフレーズと、その雨に濡れそぼりながら阿蘇山麓で草を食む馬の姿のイメージが今でも鮮明である。 小学校時代の記憶はその後人生のすべての基盤を成すといっても過言ではないと思う。同じく、小学校時代に読んだ斉藤隆介著の「天の赤馬」が記憶に残っている。東北の隠し銀山を舞台にした百姓一揆の物語だが、その銀山の炉のが山に映し出す炎の陰が天に向かっていななく馬のように見えるという光景は、滝平次郎の影絵の迫力とともに刻みついて離れない。 この二つの記憶がこの馬の作品となった。馬は干支では午であり、方位は南、色は朱、季節は夏で時刻は正午を司る。エネルギーそのものの象徴である。 撮影:熊本県阿蘇山麓

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未・2003
未・2003

和のイメージで考える限り、未の出番がない。 わずかに「羊頭狗肉」という四字熟語が浮かぶくらいで、どの時代のどの風景にも、いわゆるヒツジは見当たらない。調べてみるとやはり日本にはいわゆる草原にいるような未は生息していなかったらしい。 6世紀頃に新羅から送られたこともあったようだが、仏教の影響もあり、また羊毛を必要とするほど気候が寒くなかったということで、結局根付かなかったらしい。江戸時代には大島、長崎、薩摩などでわずかに牧産されていたようである。 和のイメージは諦めることにした。私の羊のイメージはサフォーク種と呼ばれる頭と足が黒くて体は真っ白の羊。 白といえば雪。白の世界に広がる青い空。 撮影:鳥取県鳥取砂丘

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申・2004
申・2004

類人猿という言葉もあるほど、猿と人間は関係が深い。日光東照宮の三猿に代表されるように猿の行動様式は他の動物に比べて人間に相当近い。猿は「去る」に通じるということから「勝る、優る(まさる)」につうじる「ましら」と呼ばれることもある。 猿はまた馬の病気を治す守護神であるとされ、昔は正月の門付に猿回しが厄を祓って歩く光景がよくみられたとか。 猿の物語といえば桃太郎かさるかに合戦。魅力のあるのは悪役にされているさるかに合戦の猿である。柿を独り占めして、カニの登って来れない木の上で不敵に笑みを浮かべる悪ザル。。。。化粧も迫力のある京劇風に。 撮影:和歌山県葛城市

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酉・2005
酉・2005

酉は鳥、鶏である。鶏の一番の特徴はなんといっても時を告げることである。 「常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)」、岩屋に隠ったアマテラス神が再び姿を現したときに喜びの第一声を告げた。   明治時代に時計が普及するまでは鶏は告時の番人であった。時計の語源も時鶏(とけい)からきているとか。 時を司ることで、鶏はまた太陽の象徴でもある。おなじく太陽の象徴として熊野神社の八咫烏がいる。 飛行機が発明されるまで、青空を自由に飛ぶことは、人々のあこがれであった。太陽は永久不滅の象徴である。そこから永遠の命をもつ火の鳥=鳳凰が作られた。四神の朱雀はこの鳳凰の系統である。 撮影:和歌山県熊野市鬼が城

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犬・2006
犬・2006

この写真から今年の干支を想像するのはかなり難しいかもしれない。「花咲か爺さん」の愛犬シロの精である。欲深じいさんに殺されたシロは焼かれて灰になってからも、可愛がってもらった爺さんへの恩返しを忘れず、枯れ木に満開の花を咲かせるのである。 犬は約1万年まえから家畜化され、人と共生してきた最も古い仲間である。「いぬ」は「いぬる(去ぬる)」に通じ、魔除けの象徴であった。赤ちゃんの額に戌の字を書いたり、子どものお守りに張り子の犬を飾ったりするのには、そのようないわれがある。 十二支順で並ぶ申(猿)、酉(鳥)、戌(犬)は桃太郎の家来である。桃太郎について退治しにいった鬼がでてくるという丑寅の方位が、十二支表上においてほぼ向き合う形になっているのは偶然の成せるわざだろうか? 撮影:奈良県吉野郡川上村

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亥・2007
亥・2007

「猪突猛進」「猪武者」から推測されるように、猪は勇猛の象徴であり、伊吹山においては山の神であった。「もののけ姫」でも猪は山の神として登場している。また猪は多産なことから豊穣の象徴でもある。背中に白い筋の入った猪のこどもたちの姿は、瓜ににていることから うりぼうと呼ばれる。小学校の時に読んだ松谷みよ子著「龍の子太郎」にうりぼうが出ていた場面が印象に残っている。 猪は里山に近く生息し、時には田畑を荒らすこともあるが、人に害なす蛇を食べるという一面も持つ。十二支表で亥と巳が対角線上にいるのは偶然ではないかもしれない。里山の神、亥の精。 撮影:滋賀県高島郡

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近年、年賀はがきにくらいしか登場しない干支の動物であるが、本来はその1年の守り神である。

牙や鋭い爪を持っていること、早く走れること、空を飛べること等、人間の持たない天賦の能力に我々の先祖は畏敬の念を抱き、

多産による一族繁栄などの願かけをしてきた。

居住区が線引きされている現在の姿は、「開発」という大義名分に隠れた人間の自然破壊の結果であり、

生活圏を奪われた動物たちを害獣扱いするのは本末転倒である。

人もまた動物の一種に過ぎない。より良い道を探り、人も自然も動物も豊かに共存できることを願う。

「干支シリーズ」はそのような願いを込めて制作した作品群である。

撮影はそれぞれの動物にまつわるエピソードに基づいた場所で行っている。

コンセプト、衣装、撮影まで、全てセルフプロデュースによる。

In recent years, there are few opportunities to remember 'Oriental zodiac animals' in our daily life, just only using for a signature in New Year's postcards and other few examples, even they are the guardian god of each year originally.

To have fangs and sharp nails, run fast, can fly the sky, those animals have ability which human begins doesn't have, and our ancestors have expressed awe in them.

Because of the urban development, the distance between humans and wild animals has gone away (excluding small animals such as pets).

The world does not belong to humans. We are also just a kind of animals that survive in the world.

I really hope to find a better way and to coexist people, nature and animals richly.

 

"Oriental zodiac series" is self-produced work based on such wishes.

The idea of each cosutume and the shooting place was based on episodes related to each animal.